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機動戦士ガンダムユニコーン、地上波レギュラー放送決定、めでとうございます!!

metalUC

機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096 機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096

せっかくなので(何が?)ごく最近、ガンダムユニコーンを全話見直したモ人的におっさん向けの見所を紹介してみます。

次から次へと画面に映っては散っていくマイナー量産MS(モビルスーツ、ロボットのこと)達。ショッギョムッジョ!

物語の冒頭から下っ端兵士MSジェガン&スタークジェガンの活躍(小気味のいいやられっぷりを含む)がキラリと光ります。スタークジェガンのパイロットなんて、相手がファンネル(小型の無線遠隔操作ビーム砲。操作が難しいので特別な人にしか使えない。見えにくくてすばやいので相手にするとやっかい)出してきたと見るや、グリップをカチャカチャと操作して射撃モードからチャンバラモードに変更する機転を利かせる描写なんか、台詞一言も言ってないのに、画面上のロックオンターゲットの数がぐっと減ることで表現している渋さ。しびれる。

他にも、動いているのを見たことないようなジオンの実験機(ポンコツメカシリーズ)や富野監督著作の小説『閃光のハサウェイ』に出てきた「グスタフカール」の出演なんかも古くからのガンダムファン(特にトミノコ族)は涙で前が見えなくなるのでは。

ボーイ・ミーツ・ガール

察しがよくてフツーじゃない少年・バナージと高貴すぎてフツーじゃない少女・オードリーの出会い。おたがいがおたがいに色々な影響を与えたり、色々な大人達から言葉を託されたり…その言葉同士が響き合い、さらに大きな輪になって大人達を動かしていきます。

閉塞した大人達の世界。どうしようもない現実を前に『それでも!』と前を向く強い意志

子供が正しい事を言って、正しい事をして世界が平和に…というニュアンスの流れはロボアニメに限らず、創作の世界ではよく取り上げられるテーマではあります。

しかし、ガンダムユニコーンのグッとくるトコロは、大人達がそれぞれの組織・主張のしがらみを背負って、それぞれの善意のもとに行っている事が、結果として閉塞した現実を作っているという描写。そして、それに対して『それでも!』とまっすぐな気持ちをぶつけてくる主人公・バナージに「この世界には、まだ改善の余地がある」と思わせられること。その意志を、願いを託してみようという気持ちになるところです。

コレは原作者:福井さんの書いた他の作品-とりわけ少ない分量によくまとめられている『小説・震災後』でも取り上げられているテーマなんですが

「上の世代が為した行為の結果を下の世代が生きているのではない。『やりっ放しの逃げ』決め込みではなく、自分達なりにがむしゃらに『改善すべき世界と向き合った』結果なんだし、その時代ごとの課題にどう向き合うのか、その解決をのちの世代に託すしかなかったというやるせなさと『それでも』引き受けて前に進もうとする若い世代の物語」

なんですね。


という感じで、「ガンダムなのに、間違いなく本来のターゲット(中高生)には刺さらない」作風のガンダムユニコーン。今回のテレビ放送に寄せた福井さんのコメントから引用してこのエントリをシメたいと思います。

UCは「大人のためのガンダム」でしょ?なんで今さら子供に見せたいの……って言うか、子供受けする要素あると思ってんの?と、すかさず疑問を持たれたあなた、あなたはまったくもって正しい。昨今のマーケティング観点に従うなら、UCの今回の放送の仕方は無茶もいいとこという一方の見方はあります。
が、当初はファーストガンダム世代、すなわち大人層に向けて発信されたUCが、エピソードを重ねるごとに中高生からなる若年層を取り込んでいった事実。加えて、そもそもファーストガンダム自体がハイティーン向けに作られていたにもかかわらず、筆者を含む当時の小学生がガンプラ・ブームから始まる社会現象を底支えしていった経緯を振り返る時、この無茶にこそ閉塞感を突破するなにかが宿るのではないか……と、我々は半ば本気で信じてもいるのです。

…確かに、そうなのかも。ありえない、と常識で考える事はもうさんざんやってきた事だし、その延長が…しらんけど(´・Д・)」

テレビ朝日系列へのガンダム帰還(ガンダムX打ち切り以降、約20年振り!)おめでとうございます!!

それでは せいぞんせんりゃく しましょうか

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