もう5年 まだ5年

2011年3月

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モ人家は、まだ三人家族でした。

あの日、電車が止まり歩いて帰ったあの日。

ケータイが全く繋がらなくて互いの安否も判らず、知らせられずに不安でしかたなかった、あの日。

帰宅して、少なくとも家族の無事を確認できて、ほっとしたあの日。

あの日、3/11は金曜でした。

続く土曜、TVに映し出された津波が、全てをのみ込んでいきました。「その日」に自分が感じていたちいさなちいさな不安は、TV画面の中で街を洗い流す濁流の中に、簡単にぎれて、のみこまれていきました。

今、被災地はどうなっているんだろう。

これから、どうなっていくんだろう。

何が、という言葉さえ思い至らず。判らない。「判らない」という、ごく当たり前な事がとてもとても異常な事なのではないのか?と不安を増幅させていきます。

日が明けるたびに、次第に明らかになっていく被災地の惨状、どんどん積み上がる被害者数、輪番停電による被災地以外の混乱、製造施設や流通網の一部機能停止により、寸断されるサプライチェーン(供給連鎖網)

そして、原発事故。

「あの日」をゼロ地点として、我々は「5年」もの時間を過ごしてきました。

本業に打ち込んだ人、被災地にモノを送った人、ボランティアに取り組んだ人、被災地の名品を選んで消費して「応援」した人、寄付した人、クラウドファンディングに出資して経済的な「応援」をした人。

色々な人が、いろいろな事を考え、様々な行動を積み重ねてきた「5年」だったのではないでしょうか。

(「5年」間ずーっと何かしら震災に関わる事を考え、行動してきましたよね?というつもりはありません。ただ、「5年」という時間の中に、全くなかった、というわけでもないでしょう。それぐらいの考えで)

「もう」5年、経ちました

ガレキだらけだった海岸は、どうなっているのでしょうか。そこに住んでいた人は、元の土地に戻ってきたのでしょうか?それとも、新天地での生活に気持ちを切り替えているのでしょうか?生活の基盤たる経済活動は?完全に元に戻る、戻すのではなく、新しい生活、新しい街を模索しているのでしょうか?

「まだ」5年しか、経っていません

「あの日」「あれから」自然の驚異が人を、生活を飲み込んでいった時、この国で、社会で何が起こったのか。多くの命が奪われていった不幸と自分達が、その当事者として、どのように混乱し、どんな状態でいたのか。

「今、どうなっているのだろう」

「5年前の状況、気持ちを改めて思い出したい」

この二つの興味・好奇心にたいして検索して調べるーYahoo!では、今年も3月11日に『3.11』と検索すると10円の寄付になる取り組みをしています。

震災から5年、いま応援できること– Yahoo! JAPAN 東日本大震災から3年 つながろう、明日も - Yahoo! JAPAN

「当時、どうだったかなぁ」

それを改めて思い出すことは、意外と「これから」を考えるヒントになるのかもしれません。


今年も3月になり、毎年読んでいる二冊の本を読み返したくなってきました。

『焦ることはない。わしらは長い旅路の途中にいるんだ。哀しみをひとづずつ減らしながら歩いてゆく、長い長い旅の途中に…』

「わたしにできるのは、考えるヒントを与えることだけです。目指すべき未来を見つけ出せれば、君たちは放っておいても歩き出してくれると思います」

『自分で自分の心を壊さない限り。未来を探すのをあきらめない限り。人は結果ではなくてー』

「ーいつでも、過程を生きているものなのですから」

カメラマンになったことを後悔した

何を撮っていいか分からない

何を撮っても目の前の現実を表現できない

何を撮ってもこの悲劇を伝えきれない

それでは せいぞんせんりゃく しましょうか

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