巻き込んで/巻き込まれるのが/人生よ/モ人

ハイクを詠め!

(ニンジャスレイヤーより。ニンジャ同士の戦いにおいてトドメを刺す直前に辞世の言葉をハイクとして詠めと迫るセリフ。実際に5-7-5の俳句を読む者はほぼいない。たまに何かしらの言葉を残す正直者もいるが、季語がはいってなかったり5-7-5でなかったりするのはザラ)

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「巻き込む」とか聞くと塊魂を思い出す我が家

イイですよね…塊魂…ってゲームの話でゴメンなさい。ウチ、特に嫁さんが大好きなんですよ、塊魂。家とか街とかにちらばっている色々な『モノ』をひっつけて、あつめて、ドンドン巻き込んで大きくしていくパズル?アクション?ゲームなんです。プレイステーション2とプレイステーション・ポータブルがあるのかな?他は知りません。

(って今検索するとPS3でもPSVITA出てるんですね…知らなんだ…や、買いませんけど)

最近考える、「人を巻き込む」って事と「人に巻き込まれる」って事

勤め先の上司の仕事の進め方が、まさに「積極的にコミュニケーションをとって人を巻き込む」スタイルなんだな、と最近感じてます。自分なんかは、(コミュニケーションが面倒というわけではありませんが)「人を巻き込むのは申し訳ない」という気持ちが大きく、自分でできる事は自分でやるし、その範囲を大きくする為の努力を重ねています。

しかし、上司の「バシバシ巻き込む」というスタイルをまのあたりにしたり、そもそも「自分がバシバシ巻き込まれてる」と感じるにあたり「申し訳ないとかいいながらも、生きてる上で色々な人を巻き込んでるし、巻き込まれてるよな」という考えが湧いてきました。

「つきあい」「交際」も『巻き込み』の一種だわな

「つきあい」というと一番最初に思いつくのは「飲み会」とか「ゴルフ(したことないんだぜ)」。あとは(海に)遊びに行こう、とかね。何回も断ってると「つきあい悪いな~」とか言われ出すんですよ。

しかし、コレ、不思議な文句ですよね。「つきあわせてる」って感覚があるのに、悪びれない。いや、「つきあってる側」と「つきあわせてる側」の貸し借りの関係にもよるんでしょうけど。だいたい「つきあい悪い」と文句垂れる人に対して「つきあわせる」事って…あ、ハイ、なんかトラウマ・パンドラ・ボックスが開きそうになったんでやめときましょう。

あと、「つきあってください!」という告白、そして『交際』ってのも広い意味では巻き込みですよね。互いが互いの都合に「巻き込んでる・巻き込まれてる」んだから。それも好きこのんで。(ま、互いが好きなんだから当事者らは巻き込まれてるとは表現しないもんですけど、そういう捉え方もあるかな、と)

平日は仕事の誰かに巻き込まれ、誰かを巻き込んで

休日は家族に巻き込まれたり、巻き込んだり

そういう事を繰り返して生きてるんだな、というのを改めて考えるワケですよ。嫁さんが裁縫に集中したいから子供を三人とも連れ出してくれ!と巻き込まれてブーブー言いながら出かける事もありますが

「いや、そもそも結婚してオレの人生に巻き込んでるんだよなぁ」

「東京転勤だって、会社の都合に巻き込まれてるようなもんだし、頼れる親兄弟もいない東京砂漠で、よくやってくれてるんだよなぁ」

という風にも思えてきます。

『投資』も『寄付』もお金という力を媒介にして「主体的に巻き込まれにいく事」

巻き込まれる、というと受け身な表現ですが関与する(コミットする)と言いかえる事もできますね。

ここで、最近更新した

「寄付白書2015」の発行サポーターになってみた「寄付白書2015」の発行サポーターになってみた | これが我が家の生存戦略

が関係してくるんです。コミットする。『投資』だろうが『寄付』だろうが、お金を投じたその先にはそのお金を扱う人がいて、その扱いようにはなにがしかの目的・目標があるし、お金はその手段(の助け)になるんですよね。

『投資』と表現される事は、目的・目標の達成度合いによって手元にお金や具体的な成果物が帰ってくる事を目論んで行われる行為でしょうし、『寄付』であれば、目的・目標の達成度合い如何によらず、手元に帰ってくる成果を期待しないという風に言いかえる事もできます。(どちらにせよ、目的・目標へ近づくことを志向するというのは変わらないとも思えますが)

自分が、寄付やセキュリテのファンドへの出資の際に考えるのも、この「一枚かみたい」「コミットしておきたい」=「巻き込まれたい」という感覚です。セキュリテの場合は投資だろ?という声もあるでしょうが、金銭的なリターンは従来の投資枠とはまた違った感覚でいます。元本確保とか複利で成長とか、そういう感覚ではないんですよね。

『主体的に巻き込まれにいく』裏返しとして『巻き込んだ企業・寄付先』に求められる態度とは

このあたりは色々と立場や考え方があるだろうと思いますが…『投資』『寄付』を募るからには、その成果を『巻き込んだ人達』と共有する義理があるんじゃないのかな?というのが最近モヤモヤしている考えです。

ま、あんまりアレやコレや難しい事や込み入った事、細かい事を知りたいとまではいいませんが、少なくとも『投資』『寄付』を募る時に掲げた目的・目標に対してどうなっているか?というのは(飛び込んでったとしても)巻き込まれてる側としては共有したいもんです。

こんな風な『投資』『寄付』観、どうでしょ??

それでは せいぞんせんりゃく しましょうか

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