「寄付白書2015」の発行サポーターになってみた

なんだそのカジュアルなタイトルは。モ人です。

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えーっと、まずは白状しておきますが、投信ブロガーで不動産鑑定士であるshimoさんの以下のエントリを読んで影響をうけての行動&投稿です。寄付白書そのものにご興味のある方はshimoさんのブログエントリ&日本ファンドレイジング協会さんのサイトへどうぞ。

「寄付白書2015」の発行サポーターになりました | セルフ・リライアンスという生き方 「寄付白書2015」の発行サポーターになりました | セルフ・リライアンスという生き方

(同白書の出版は11月ごろ、発行サポーターの受付は8月いっぱいまでとのこと)

動機は「寄付の現状について、自分にはわかってないことが多いと気が付いたから」

以前、旧ブログ時代に「寄付つれづれ」というエントリをしたためてました。

寄付つれづれ 2014年9月寄付つれづれ 2014年9月 | これが我が家の生存戦略

…うーん…今読みなおしても、当時の「モヤモヤ」とした想いはそのままですね。当時も引用していますが、二本のブログエントリから再度重要な部分を引用させていただきましょう。


僕らは、難しい病気や難しい状況に、いつだって立ち向かいたい。困っている人々が、よりよく暮らせたらと思う。困ってしまう状況が、改善されたらと思う。

比較的わかりやすい形で消費され、分業と報告が仕組みとして成立している分野では、「儲かりそう」なところに資源を突っ込むことで配分は行われている。ところが寄付を必要とする領域は、なかなか簡単でない。僕らは、どんな難病がどのくらい存在しているのか、よく知らない。困難な状況が、どんなふうにあちこちに蔓延しているのか、よく知らない。それらのひとつひとつが、どのくらい解決が近いのか遠いのか、よく知らない。そこに投じられたマネーが、金額あたり、どのくらい力を発揮するのか、よく知らない。どんな素晴らしい連中が問題に取り組んでいるのか、どんなインチキな連中が巣食っているのか、よく知らない。

氷水で頭を冷やしたら、寄付とよりよい世界について考える – 投資の消費性について 氷水で頭を冷やしたら、寄付とよりよい世界について考える - 投資の消費性について

何かにコミットするというのは、自分の人生が続く限り、自分の思っていることや理想とすることに対して、物事が改善するよう活動し続けるという意味だ。寄付というのはその一形態だが、同じ寄付をするのであれば、問題が解決に向かっていくのだというものを見届けるコミットだと思っているので、求められる寄付の全部に対してコミットできないことを理解しない人たちが提案してくるときほど困ることもない。
 
~中略~
 
逆に言えば、何にコミットして、何にコミットしないかという判断を突きつけられる時代になるんだ。そして、コミットが得られなかったステークホルダーは崩壊する。ALS患者の影で、他の難病への民間からの寄付がちょっぴり減ったかもしれない。高齢化したある自治体は利便性故に投資の対象となり、その隣の自治体は消滅に追いやられるかもしれない。いつの間にか切り捨てられる側になる時代に差し掛かっていることを、氷水の議論をすると共に私たちは語る必要があるんじゃないのか。
善意は興味でできている: やまもといちろうBLOG(ブログ) 善意は興味でできている: やまもといちろうBLOG(ブログ)

そう、そうなんですよね…「投資」であろうと「寄付」であろうと『お金を出す』ということは『コミットする』ということの一つの形なんですよね。そのあたりはまた改めてネタを温めているんですけど。

『知る』だけなら出版される寄付白書2015や既刊の寄付白書を買えばいいんじゃない?

そんな風に思える自分もいたんですが、同じ『知る』という行動を取るとしても自分が『知らせる側』にコミットしたいと考えたんですね。同じように知りたい人がいるハズだ!とまでいくと思いあがりになっちゃうんでしょうけど。まずは『知らせたい』って人達の力になれればいいな、と。

ちなみに既刊の寄付白書は以下のようにAmazonさんで買えるようです。


『お金』と『コミット(関与すること)』についてはまた今度。

それでは せいぞんせんりゃく しましょうか

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