読書感想文:目の見えない人は世界をどう見ているのか

良書発見!

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Twitterにて、以前ご紹介した「オレ的にこの人のおススメは外れがない」と考えているあわへーたさんこと平田さんの読書メーターTweetが目に入りました。コレは読まねば!という直感とともに手配。

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(以前はTweetそのものを引用してたのですが、今回は読書メーターのキャプチャで。Tweetだと冒頭だけ表示なんですよね…)

概要

東京工業大学リベラルアーツセンター準教授であり、美学・現代アートを専門とされている伊藤亜紗さんが、「視覚障害をもつ人-見えない人」に『変身』しようとする本です。

ってこれだけいうとなんのことだかわけがわかりませんね。筆者である伊藤さんは、いまでこそ『美学』が専攻なんですが、もともとは生物学者を目指す程「人間とは違ういきもの」に興味をもっていたとのこと。

興味が高じて「他の生き物がみている世界はどんな風になっているんだろう?」「『変身』する事はできなくても、『妄想』する事はできるのではないだろうか?」そう考えた若き日の著者は『変身』したい対象を調べに調べ、調べ尽くして『変身』した妄想を楽しむ…という(皮肉とか煽りではなく純粋に)なかなか興味深く、高次なたのしみをたしなんでおられたとのこと。

(『変身』というアイディアにたどり着く経緯も、冒頭に記されています。)

(大学三年までは理系、生物学方面に進んでいたそうなんですが『文転』して現在の『美学』へ。文転の理由、『美学』という学問についてもちゃんと説明されています。)

そんな風変わり(失礼)な著者が、『視覚障害者-見えない人』へのインタビューやワークショップなどの体験を基に、『変身』を試みる事、その意味を記した本です。

とはいえ、そんなに堅く考えずとも「視覚障害のある方の生活ぶり」や、その多様性に触れるよい書籍でした。

引用

冒頭より

人が得る情報の八割から九割は視覚に由来すると言われています。(略)

しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまいます。本当は、耳でとらえた世界や、手でとらえた世界もあっていいはずです。(略)けれども私たちの多くは、目に頼るあまり、そうした「世界の別の顔」を見逃しています。

この「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストが、目が見えない人、つまり視覚障害者です。たとえば、足の裏の感触で畳の目の向きを知覚し、そこから部屋の壁がどちらに面しているのかを知る。あるいは、音の反響具合からカーテンが開いているかどうかを判断し、外から聞こえてくる車の交通量からおよその時間を推測する。人によって手がかりにする情報は違いますが、見えない人は、そうしたことを当たり前のように行っています。

言いたいこと

書いてる事全部が全部「知らなかった!」とビックリすることばかり。である一方、「全部が全部一般論というわけではない」という記述も。

上記引用部分の最後にも「人によって~」とありますし、章を改めて著者も注意喚起しているのですが、「視覚障害と一口で言っても、程度や種類、見えていた記憶があるのか?まったくないのか?事故で急に見えなくなったのか?弱視などの段階的な障害を経て見えなくなったのか?状況は千差万別」です。

また、同じ目的を達成しようとしても、どんな感覚器官を用いて、どんな事を手掛かりとし、どんなアプローチを行うか?という方法も、人によって、場合によって、違ってくるようで「視覚障害=○○」という決めつけはできない、とのこと。

特に驚いたのは「点字の識字率の低さ」。具体的な数字は本書に譲るとして、まさかそんなにも「点字が読めなくても生活できている」人がいたとは…まったくしりませんでした。色々な地図、標識など公共交通機関では当たり前のように表記されているので、てっきり見えない人にとっては重要なスキルだと思っていたのですが…

また、「点字を記述するのは紙を反転させて、裏から打つ」というのも、ちょっと考えれば「そりゃそうか」と分かる事ではあるんですが…やっぱり、最初は「???」とわかりませんでした。

関連

このエントリ冒頭にて引用した「平田さんの読書メーター」にも書いてあるとおり、平田さんはブラインドサッカーに携わっているとのことですし、先日NHKの番組に出演されていた鎌倉投信の【結い2101】のファンドマネージャーである新井さんもご自身の著書にて「ブラインドスキーのインストラクター」の経験を書かれていました。

本書内の『運動』の章では、ブラインドサッカーや武道(特に合気道)の記述が大変興味深く、「目が見えない」事は、つまり「目に頼らない事」であり、死角の無い感覚同士の勝負になるというのが印象的でした。例としてサッカーもプロレベルになるとわざわざボールを見ていない、とあげていましたが、武道としても同じ事-「目」で知覚するより早く、キレよく動くことが達人の条件なのではないでしょうか(モ人は剣道経験アリ。といっても語れる程ではありませんが…)


目が見えない人=劣っている人=助けなければならない弱者

そんな通りいっぺんの理解に対して「おいおい、なめないでくれよ。見えないなりのやり方、見えないからこそ見えている世界ってのもあるんだぜ」「見えてる世界もそりゃいいんだろうけど、見えない世界ってのも面白いんだぜ。」と横からニュッと提案されたようで、スンごく刺激を受けました。

ココではとてもその魅力を全て表現できていません。何しろ、本のタイトルからして

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」

と、見えない(視覚という感覚がない)のに見ている(捉えている・把握しているのニュアンスを感じました)という一見して矛盾した内容。少しでも気になった方は、是非ご一読を。

それでは せいぞんせんりゃく しましょうか

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